こんにちは。学長メッセージの(その3)です。今回は二つ発信します。
その1 「自分の中のポリフォニー(多声性)」
あらためて考えてみると、「自分というもの」は本当に厄介ですね。自分で自分を持て余してしまうことってありますよね。独りになりたいし、みんなに受け入れてもらいたいし...自分のことは放っておいてほしいし、かまってほしいし、ある程度は評価してほしい...やりたいことや欲しいものはあるけど、ままならないし...しなければならないことはわかっているけど、やる気にならないし...やっちゃいけないことだと理解しているけど、やめられないし...この厄介な「自分というもの」と、どうつき合えばいいのか。なにしろ自分自身なので、つき合いをやめるわけにもいかないですからね。
そこで、ひとつオススメの方策として、「自分というのは首尾一貫した単体ではなく、多面的集合体だ」というマインドセットをもとにして、自分の人格をポリフォニック(多声的)にしていくのはいかがでしょうか。たとえば、自分の中の老若男女を育てる、というイメージはどうですか?
時に自分の中の男性性や女性性を表現する。時に自分の中の高齢者や子どもの部分を表出する。自分の中にある老若男女を育てるのです。思考する際やコミュニケーションする際など、いろんな場面で変化すればいいのです。きっと自分自身が多面的集合体であることを実感できると思います。そもそも人間なんて終始固定した存在ではありませんし、常に確たる個人を維持しなければならないわけでもありません。
自分の中のポリフォニーを感じることになれば、少し自分とのつき合い方もなめらかになると思うのです。
その2 「バッタ問題」
先日、前野ウルド浩太郎さんという若きバッタ研究者とお話しました。この人は、子どもの頃に「全身バッタに喰われる」ということに憧れて(すでに並みの子どもではない......)、バッタ研究者になった方です。昨年、"サバクトビバッタ"が交配前は雌雄分かれて集団を作っているという世界的な発見をしました。
彼によりますと、モーリタニアの人は砂漠の中でも方向感覚が鋭いそうです。そしてそれは「イスラームの日々のお祈りによって常に方向感覚を発揮させているからではないか」と言っていました。モーリタニアの正式名称は「モーリタニア・イスラム共和国」です。ムスリム[i]のみなさんは、どこにいてもメッカ[ii]の方向へ向かってお祈りしますからね。前野さんが真面目な顔して、「われわれ日本人が日常生活で方角を意識することないでしょう?せいぜい寝るときに北枕[iii]じゃないかを気にするくらいですよね」と言うのが実におかしかったです。
ところで、私たちにとっておなじみの"オンブバッタ"や"ショウリョウバッタ"って、バッタじゃないらしいですよ!驚きますよね?!あれは"イナゴ"だそうです。分類方法にはいろいろ議論があるそうですが、前野さんによるとバッタには「孤独相と群生相に相変異する」「大量発生する」という特性があるとのことです。
だから、聖書などに出てくる「イナゴの大発生」は、イナゴじゃなくバッタであるとのことで......。これは衝撃でした。じゃあ、ユダヤ教の律法なんかにある「昆虫で食べてよいのはイナゴだけ」って、「バッタだけ」に日本語訳を変えなきゃいけないのでは!!
まあ、とにかくバッタの話は超面白かったわけです。
でも、アフリカで大規模な蝗害(バッタの大発生による被害)は不定期かつ予測もできないので、なかなか予算が取れず、研究・対策は進まないそうです。しばらく起こらないと、すぐに経費や予算が削減されちゃうみたいです。そのあたり感染症問題と似ていますね。
学長 釈 徹宗
2022年6月17日
[i] ムスリム
一般にイスラーム教徒のことを指します。アラビア語では、ムスリムは男性形になるので、女性イスラーム教徒を指す場合は女性形であるムスリマを使います。
[ii] メッカ
イスラーム教最大の聖地です。預言者ムハンマドの生誕地であり、イスラーム発祥の地。ムスリムは一日五回、メッカ(のカアバ神殿)の方向を向いてお祈りをします。この方向をキブラと言います。
[iii] 北枕
釈尊が入滅の際、沙羅双樹のもとで頭北面西右脇(頭を北に、顔を西に向け、右脇腹を下にした)の姿勢で横たわりました。これを由来として、中国や日本で死者を北枕にする習慣が生まれたと考えられています。
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