皆さま、暑中お見舞い申し上げます。
さて、2023.07.03付でお知らせしましたとおり、来春から、人間発達学部の「子ども発達学科」と「発達栄養学科」は「子ども教育学科」と「管理栄養学科」に名称が変わります。
https://www.soai.ac.jp/information/news/2023/07/post-171.html
教育内容に変更は無いのですが、「今の学科名だと、なんだかわかりにくい」「発達という言葉が付いていると、社会福祉系の学科に間違われる」「もっと教育内容がストレートに伝わる学科名にしたい」といった声に応えることとなりました。
「なんだ、単に名前が変わるだけか」と侮ることなかれ。宗教学や文化人類学においては、「名前」は人類にとって実に大きな機能を果たしていると考えるのです。
夢枕獏さんの『陰陽師』には、安倍晴明が「もっとも身近で単純な呪(しゅ)は命名だ」と語る場面があります。名前を付けるのは呪術的行為だというわけです。古来、名前とはある種の「縛り」なのです。無規定な存在に縛りを与える記号です。
たとえば、私の子どもの頃は、現在のアメリカ村あたりは一般の民家や小学校があるような地域でした。でも「アメリカ村」と命名することで地域に特定の縛りが発生し、その名前に合ったお店が並び、名前に合ったファッションの人々が集うようになりました。豊中市にあるロマンチック街道も、私が子どもの頃は全然ロマンチックじゃなかったです。でも道路に名前を付けることで、それらしい街道になっていきました。
民話などに、名前を知られることを避ける、名前を呼ばれて返事しちゃうと負ける、みたいなモチーフがありますよね。ほら、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」で、名前を付け替えられてしまう場面(湯婆婆に千尋という名前を奪われ、千と名付けられる)があったでしょう。名前を付けられると呪術にかかってしまうんですね。
世界には、成人すれば名前が変わるという文化をもっているところもあります。日本でもかつては幼名を付ける習慣が見られました。今日でも、襲名の伝統がある領域も残っています。名前が変わると、新しい社会的ポジションについたり、義務と権利が発生したりしました。名前が変わることで、その存在そのものが新しくなると考えられてきたのです。
そんなわけで、改名というのは軽視できない力をもっています。法名や戒名やクリスチャンネームをもらうことも、大切な意味があります。
新しい学科名になって、人間発達学部に新鮮な生き生きとした風が吹くことを楽しみにしております。
※夢枕獏さんと会った時、「あの安倍晴明のセリフ『名前は呪だ』というのは宗教学的にとても正しいです」と伝えたら、「ほ~っ、そうなんですか~。いやあ、そんなに深く考えてませんでした~」とおっしゃっていました。うう、深く考えてなかったのか(涙)。
学長 釈 徹宗
2023年8月7日
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