皆さま、今年度も、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、みうらじゅんさんが『まず、そこがいいんじゃない!と言おう』と提案し出したのは、もう二十五年以上前になるでしょうか。
みうらさんによると、--映画を観て「イマイチだ」とか「女優が生かし切れていない」とか「金、返せ!」とか、面白く無いところばかりに目がいってしまう人が少なくない、しかしそれは面白さが見出せなかった己の力量不足ではないのか、そんなときはまず「そこがいいんじゃない!」と唱えるのだ--、ということなんです。つまり、「なんでこんな余計なシーンを入れるのか」と感じたら、「そこがこの映画のいいところだ!」と唱えるのです。「なんだよ、この展開は、観客をバカにしてるのか」と思ったら、「でも、そこがいいんじゃない!」と考えるわけです。
みうらさんはこれを「娯楽を修行に転換する」と表現しています。面白くなくても、「そこがいいんじゃない」と引き受ける、それは人生の修行です。面白くない映画も、「そこがいいんじゃない」と唱えることで、娯楽を修行に転換させてくれる機縁なのです。「そんな生き方だってある」(『みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!』洋泉社)わけです。
このお話は、仏教の存在論・認識論・時間論などともつなげることができます。ご存知の方も多いでしょうが、仏教は「すべての存在や現象は刻々と変化し続けている(無常)」という立場に立ちます。さらに、瞬間的な存在論と言いましょうか、すべての存在や現象は瞬間瞬間に生滅を繰り返しているとも考えるのです。これを「刹那無常」や「刹那生滅」と言います。そして、この瞬間を原因として、次の瞬間が生じる。その連鎖が続いていく。ですから、この瞬間をどう考え、どう行動するかによって、次の瞬間は変わっていくわけです。
確かに面白くない映画に出合うと、どんどんと欠点ばかりが気になってしまい、実に辛い二時間半となることがあります。でも、そんな時に「そこがいいんじゃない!」と受けとめると、次の瞬間は変化します。結果として、その後の映画の楽しみ方も変わるかもしれません。
もちろんこれは映画の話だけではなく、我々の人生のさまざまな局面にも通じることです。思い通りならない事態も、「これは修行だ」「これも人生、そこがいいんじゃない」といったマインドセットを自分の中で育てていくのも大切な取り組みでしょう。苦難の人生を生き抜く道筋のひとつだと思います。
そういえば、浄土真宗には「厳しいご催促」という言い方があります。近年は聞くことが無くなりましたが、かつて真宗門徒には苦難に直面した時、「これは仏様から『しっかり仏法を聴聞してくれよ』『これを縁として自分の実相を見つめてくれ』というご催促なのだ」と受けとめる人たちがおられました。深刻な苦しみも、「ああ、今回は本当に厳しいご催促をいただいたな」「本当にこのご催促は厳しいねえ」などと言いながら事態に向き合ってきたのです。ここにも、「今、この瞬間をどう生きるか」という仏教の無常観や認識論が通底していると思います。
学長 釈 徹宗
2024年4月22日
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